南風原文化センター・生きるチカラ・

2011年9月22日~10月4日

イヌ: スズキ ハナ
カンタ: 鈴木 智美
パステル: 鈴 忠壽

生きるチカラ
~福島から沖縄へ 人生第2ステージで~

今年3月の大地震、津波、原発事故により、家も傾き、夢を見ているかのように今までの生活が一変。また目に見えない放射能と度々の余震。恐怖と不安があふれ出し、精神的にも肉体的にも寸断されてしまいました。
◇                    ◇
そのような状態の中、犬のハナと私達二人は、車にて福島から一番遠い場所 沖縄へ・・・。まぶしいほどの風景と大地の恵み、沖縄の人々の心温まる支援に感謝し、生きる喜びをいただきました。
今も福島は収束の見えない原発事故・放射能の見えない恐怖にさらされています。以来、命の大切さ、命の尊さを手仕事カンタとパステル画で表現しました。
カンタとはインドの刺し子、古いサリーを重ねてチクチク刺しいく。模様も、生命の樹・太陽・動物・人間など、しあわせや健康、魔除けなどの願いを込めて・・・。道具がいらない今の私にとって、びったりの技法です。
沖縄の美味しい食べ物、風景、生物、歴史や福島での恐怖と不安など心を揺り動かされた思いをパステルを用いて表現しました。
◇                    ◇
負の島から福の島へ 「安心・安全」 本当に笑える日。平穏な日を願わずにはいられません。自分が生まれ育った町を大切にし、物も動物も人も 思いやる心が平和へとつながります。沖縄も福島も思いは一緒です。この一時を大切にしながら、夢の設計図を想い描いて、人生 第2ステージの始まりです。

 

ー自然のチカラ・廃炉宣言ー
「仕方がない」と納得するな
「しょうがない」と口を塞ぐな
大地を汚すな、大空を汚すな、大海を汚すな
自然を、生活を、人々を...
声を出せ、雑草の底力を!
声を出せ、雑魚の底力を!
自然にかえろう、土の豊かさに
自然にかえろう、風の心地よさに
自然はいのちのクスリ
心よろこぶ 自然にかえろう!

ー生きるチカラ・無強福ー
地震・津波・原発事故
水がない、ガソリンがない、情報がない
レベル・7の目に見えない放射能
後手後手 政府の不信感
研ぎすませ、心のアンテナを・・・
今まで存在しなかった体感
本当の幸せとは 何ですか?
本当の豊かさとは 何ですか?
本当に大切なモノとは 何ですか?

 


沖縄タイムス 2011年9月22日(木)

命の尊さ 作品で訴え
沖縄への感謝も伝えたい/人生の第二ステージ見て

【南風原】東日本大震災で福島県いわき市のギャラリーが被災し、目に見えない放射能の恐怖に追われ3月下旬、沖縄へ避難してきた芸術家、鈴忠壽(リン・チュウジュ本名鈴木忠寿)さん、智美さん夫婦による展示会「生きるチカラ」が22日から南風原文化センターで始まる。10月4日まで。入場無料。
3月11日、「ギャラリー創芸工房」で彫刻展をしていたとき、地震が襲った。「大地には亀裂が入り、電柱も何本も根元から折れた」
12,14日に福島第1原発で水素爆発が発生。忠壽さんは周囲の人が感じない強烈な異臭を感じたり、原因不明の呼吸困難を引き起こすなど心身共に追い込まれた。20日、避難を決断、愛犬を連れ「原発から最も遠い所へ」との思いで鹿児島からフェリーを乗り継ぎ、22日に沖縄へたどり着いた。
知り合いのアーティストらの紹介で南風原のアパートに入居。命の大切さと尊さ、支えてくれた沖縄の人々に感謝の思いを込め、智美さんと共に作品づくりをはじめた。到着後、取りかかったのは、強烈な悲しさと恐怖を与えた原発をテーマにした絵。原発事故を伝える福島民報・福島民友新聞を25枚近くつなぎ合わせ、その上に墨とパステルで白い防護服を身にまとった人の絵を描いた。絵と背景にある「原発事故」の事実を伝える文字情報を重ね、不気味さと生活を奪われた人々の悲壮感を伝える。
このほか、貝のオブジェや智美さんが作った刺しゅう作品など100点以上を展示。日本地図の上に、被災から避難に至る経過を記した紙を張り付け、約1500キロを避難した愛車も作品とした。来場者に車体へそれぞれの思いを書いてもらうことも企画している。
忠壽さんは「半年間の自分の心を直接表現した。沖縄へ感謝の気持ちを伝え、同時に福島と沖縄の芸術家をつなぐことができたらうれしい」と来場者を呼び掛けた。
10月2日午後6:30分から、避難者らを交えた交流会も行う。問い合わせは同センター、電話098(889)7399。

 


琉球新報 2011年9月23日(金)

第二の古里に感謝を込めて

【南風原】東日本大震災で被災し3月下旬に福島県いわき市から沖縄に移住した鈴木忠壽さん、智美さん夫婦が22日から、南風原文化センターで作品展を開いている。「生きるチカラ 福島から沖縄へ 人生第2ステージで」と題し、忠壽さんがパステル画で、智美さんがインドの刺し子「カンタ」で命の大切さ、尊さを表現している。10月4日(水曜休館)まで。
鈴木さん夫婦は、東京電力福島第1原発からやく48キロ離れたいわき市鹿島町でギャラリーを営んでいた。地震で自宅兼工房が傾き、水道とガスが遮断された。一時、同市内の忠壽さんの実家に避難していたが、故郷を離れ沖縄への移住を決めた。「余震と放射能の恐怖、原発から出ていると思われる異臭に我慢できなかった」と忠壽さんは振り返る。
那覇市に住む知人の姉の紹介で南風原町津嘉山のアパートに入居。同町社会福祉協議会職員を介し近所の美容師室経営者と知り合った。経営者は食料を鈴木さん宅へ届けたり、無料で散髪したりしている。智美さんは県工芸指導所で絣の基本的な工程を学んでいる。
作品展の中には、縦最長約2メートル60、横約5メートルの大型作品がある。福島第1原発事故を伝える福島県の地方紙を黒色の絵の具で塗りつぶし、上にマスクや長袖で体を覆った人間を描く迫力はる作品。忠壽さんは「地震、津波、原発の不安を描いた」と説明した。
一転して、ほかの作品は沖縄の青い空を表現。忠壽さんは「空の青さ、人の温かさから生きる力をもらった」と言い、「将来は福島の作家を招き、南風原の人と交流する展示会を開きたい」と夢を描く。
智美さんは花火や自然の風景を刺し子に表現した。2人は作品展を通して「南風原の人たちに恩返しがしたかった」と語った。2日午後6時半からは交流会を開く。参加費は千円。問い合わせはtel098(889)7399

 


琉球新報 2011年10月5日(水)

福島の日々伝える  鈴木忠壽・智美

「生きるチカラ~福島から沖縄へ人生第2ステージで~」(9月22日~10月4日、南風原ブンカセンター)は東日本大震災で福島県いわき市から一時避難している鈴木忠壽・智美夫婦のコラボレーション展で、福島から1500キロを走破した愛車と日本道路地図を中央に、周囲を夫のドローイング、妻の刺し子作品が囲っていた。
放射能汚染に対する夫の疑問を殴り書きしたドローイングに対し、緻密な幾何模様をひと針ずつ縫い込んだ妻の冷静さが対比して、精神的にも肉体的にも切迫している日常の、モノづくりで過ごす時間を2人で乗り越えようとする日々が伝わってきた。
震災はあくまでメディアの中でしかなかったが、同じ場所に立ってつながることが広がりを持ち、美術家として次に向かうべき方向が暗示されたように思う。


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