異臭が襲う

 

3月15日(火)
 道路は東京方面へほとんどがマスクをして避難する車で大渋滞。風は北から南の向かい風、異様な低い黒い雲とうがい薬のような異臭の中、時折 咳き込みながら車をいわきに向けて走らせる。道路脇にはパンク等の故障車、燃料不足車、地震・津波の被害を受けた車や家並みが続く。夜中には見えなかった自然のチカラを目の当たりにしながら、20年間の乗って来たジムニーが朝9時過ぎ、無事にギャラリーに戻ってきた。


 ギャラリーのドアを開けると、玄関に住所録と貴重品が入ったバックが置いてあった。それだけ慌てて出て行ってしまった。今までにありえない事、ありえない事だらけ。自分を育ててくれた町、土地、親類、友人、そして15年こつこつと積み重ねてきたギャラリー空間の在る、いわきに戻って来た。一晩中 右往左往していたので、少し横になったが興奮と不安から眠れない・・・また余震だ。


 午後3時過ぎ頃、ラジオから双葉地区の原発から20km圏内で取り残された入院患者が光洋高校へ避難し、支援を呼びかけていた。灯油18Lと毛布2枚を届けた。まだまだ寒さが厳しい時期、すきま風だらけの広い体育館の中には、布団が並べられて寝たきり高齢者の無言の叫びが・・・特に子供と高齢者、弱者が一番の原発被害者だ。しかし、そこでもくもくと働く若者の姿がまぶしかった。


 午後6時頃、ラジオからは「屋内退避」「避難場所」「死者行方不明者」「給水場所」が繰り返し聞こえてくる。車にはガソリン無、電車は不通、余震も続く中、原発関連の情報は?政府の対応は?説得力「無」の不信感が増すばかり、無こそが最大の恐怖。その恐怖に耐えられず、自宅脇の鹿島小学校や鹿島公民館へ行ったが開いてない。ラジオに耳を傾け、一番近い避難場所の玉川中学校へ犬のハナも一緒に出かけた。雨の中、街は夕方の帰宅ラッシュの時間帯、車もいない、店も住宅にも灯りがない。シーンとした街を玉川中へ・・・犬も一緒だったので、結局玄関前まで行ったが、またまた右往左往してギャラリーへ戻ってきてしまった。


 夜11時半ごろ突如として、うがい薬を何十倍も濃くしたような異臭で目が覚めた。息苦しく呼吸ができないほどで、顔色が変わり目の焦点も合わない状態となった。かみさんは救急車、119番に電話を入れて助けを求めた。症状と放射能の影響ではないかと話すと、いわきはそんなに線量は高くない、心配だったら保健所で調べて下さいとの事で、結局、救急車は来なかった。パニック症?過呼吸?また、時々異臭が襲ってくる。


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