逆転・ストーリー

 

3月17日(木)


 朝六時過ぎ、母に電話を入れた。電話の内容から、母も大変な事になっていると早々に来てくれた。こんなにも大変な非常事態の時に、親族・親類が集まってくれた。



 私の頭の中では、こんなストーリーを展開していた。


天国(放射能汚染からの脱出)と地獄(放射能汚染の隠蔽)これからスケールの大きなプロジェクトが始まる。母がギャラリーに来たときから「地獄から天国への逆転・ストーリー」のクランクインとなった。キャストは、子供からお年寄り、駐車場の警備員、医者、新聞記者、テレビ局、政治家・・・何万人も関わるプロジェクト。


地震と津波による福島原発爆発により、放射能は大気・海中に大量放出。地元は勿論、いわき、福島も危険地帯で、一刻も早く避難し目に見えない放射能汚染からの脱出作戦。直ちに病院で診察を受け、被爆している事が判明される。記者の取材で新聞・ラジオ・テレビにより、安全な場所への避難がはじまる。代償は大きいが、原発ナシの日本・原発ナシの世界へと大きく舵をきる。NEWエネルギー・自然エネルギーへと安全安心のシフトチェンジ、自然との共生・循環社会の輪が拡がるストーリーとなる。


 


 いよいよ、幕が上がった。・・・岩城共立病院へ向かう。病院内は大混雑、毛布をかぶり、マスクをして水の入ったペットボトルを手に持ち車椅子にて順番を待つ。診察を受けると、診断は感染症だった。放射能について尋ねたら、あっさりと「いわきは問題ない」と言う。薬も安定剤のようなものだった。しかし、原発の水素爆発について、はしご車からの注水・ヘリコプターからの注水や「安全だ・安心だ」などと言う政府の対応対処・どう見てもどう聞いても納得のいかない事ばかり。信用・信頼できない一層の不信感。正確な情報を、迅速な対応を願っていた。疑わしいもの疑っても疑い得ないもの、それは私自身の体感である。「激しい咳と痰」「うがい薬のような異臭」実際にいわきも危険地帯、目に見えない放射能に被爆している事を発表させ直ちに避難させよう。処方薬を待っているところに、新聞記者の取材の予定だったが、そこで、テレビの画面からは、また、原発事故現場にヘリコプターからの放水シーンの映像が流れていた。「危ない」「早く逃げろ」と思わず手を左右に振りながら、つい声を出してしまった。黙っていれば記者の取材で、「放射能・被爆者」発生・直ちに避難の予定が、総崩れとなり、全てのプロジェクトが水の泡となってしまった。


 仕方なく、処方された安定剤のような薬を受け取り、ギャラリーのある鹿島町走熊では生活できる状態ではなかったので、常磐岩ヶ岡の実家へ向かう。急に風向きが変わった。天国派の何万人ものスタッフや子供からお年寄りまで何十万人の思いに、答えられなくて申し訳ない思いから、車のシートに硬く握った拳で座席を叩いた。その拳の中にはメガネが二つ折りとなっていた。この世の終わり、人生の終わり、絶望により舌を強く噛んだが、一部出血し腫れただけだった。車の窓ガラスからは、スーパーの入り口に長蛇の人並み、ガソリンスタンドにも車の列を横目で追いながら実家に着いた。


 実家に戻りホッとしたせいか、お昼を食べて一時間ほど横になった。夕方四時ごろ、義姉は買い物へ、母とかみさんはギャラリーへ出かけていった。実家で独り・生かされた思い、何ができるか?何をすべきか?新聞、テレビからは大地震・津波による避難生活をしている。北ではまだまだ雪景色で寒くて食べる物も大変。精神修行に出かけよう。みんなにコメントを考えていると、ふと先日かみさんとの約束を思い出す。「何時でも一緒にいよう」という約束を破ることを謝らなければと思い、ギャラリーに電話を入れた。もし、出なければコメントを残して出かけよう。・・・呼鈴が四回・五回 受話器を置きかけた時に、かみさんの声が受話器から伝わってきた。これから「出かけること」を伝えたが、今すぐ帰るから「待ってて」という言葉に安心したのか、揺れる気持ちが少し落ち着いたように感じた。それから程なく、かみさんと母がギャラリーから調味料・食料品・パソコンなどを持って帰ってきた。私の中で、原発という言葉に異常に反応していたのかもしれない。「被爆」?「人に移る」?そんな事を思っていたので、みんなに迷惑を掛けない様に出かけようとした。まさに、この世の終わり・地球滅亡まで考えていた。涙が止まらない、これって現実の世界なのか、夢の世界なのか、頭の中はパニック状態のまま夕食を少し食べて布団の中へ潜り込む。夜中に何度か激しい咳で目が覚めながら朝を向かえた。


by
関連記事