一枚のハガキ

 

428


 沖縄の地に立って1ヶ月が過ぎて精神的にも多少落ち着きを取り戻した。私は紙と鉛筆(パステル)を用いて、沖縄の青い海や身近に感じられる空や雲などの自然を描くようになった。かみさんは、今の生活にぴったりなカンタ(針と布によるインドの刺し子)の手仕事を少しづつも、シンプルな生活が始まった。


 それから、地域の人達とも触れようと、役場の紹介にて、マンゴー農家の手伝いや電照菊の作付け作業をしながら、体を動かし汗を流す。地道な作業だが大地と接することで、土から自然から栄養をいただき心地よい疲労感に満たされる。自然はいのちのクスリです。


 


5月上旬


 3月11日のM9の巨大地震からちょうど1ヶ月後の、4月11日に起きた震度6の余震で、実家の納屋が傾き、度々の余震で倒壊の危険という内容のハガキが届く。納屋の中には、新制作展やいわき市民美術展に出品した重く(約40kg)大きな(最長3m)凸凹の絵画が何枚も置いてあった。


 フェリーで約1日かけて海を渡ってたどり着いた沖縄、海を越えて、気持ち的にも整理がついたような気分。きっぱりとあきらめて全ての絵の処理をお願いした。少し身軽になったような、何かリセットできるような、新たな思いもあった。

 沖縄生活は、なんとなく半年ぐらいかなと思いつつ、やはり展示品が散乱しているままのギャラリーや傾いたままの自宅が、頭の片隅から消えなかった。一時的に帰りたいという思いもあったが、犬のハナや余震と原発のその後も心配だった。そうしているうちに、かみさんは南風原にある工芸支援センターで織の基本を学べることになった。期間は7月から3ヶ月。それが、いわきへ帰る目安になった。

 


by
関連記事