福島民報新聞・サロン集「スポーツ大好き」

2005年12月19日(月曜日) 掲載

スポーツ大好き

朝六時、コップ一杯の水を飲み、まだうす暗い中、家のドアを開けて外へ出る。車のフロントガラスには、真っ白く霜に覆われ、田んぼの水たまりには氷が張っている。空気が冷たく、丸くなる背中をピンと張り、落ち葉の並木道をふみしめて歩く。なにもかも忘れて純粋に、素直に歩く。家に戻る頃には体も心もポッカポッカ。体を動かすことにより心地よくすがすがしさが感じられるひとときが好きである。
小学六年生から始めたバスケットボール。攻守が一瞬で入れ替わる展開の速さ、シーソーゲームのスリル感、シュートが決まった瞬間の爽快感が魅力的であり、人と人とのコンタクトが激しく、体力的にも精神的にもハードなスポーツ。だから今でも飽きもせず、大きな故障もなく続けられたのかもしれない。
バスケットは、背が高くても、個々の能力がまさっても試合には、必ずしも勝つとは限らない。チームの一人一人が声を出し、お互いにカバーしあいながら守り攻める。チームプレーに徹することにより、個々の能力がひときわ光り、勝利の近道となる。わたしのポジションは「ガード」で走り負けない体力と迅速な行動力、的確なパス、冷静な判断力が求められる。走る、止まる、ジャンプする。昨日よりも今日の方が一センチでも高くジャンプし、半歩でも速く前へ出たい。バスケットシューズは、半年もたたないうちに穴があきボロボロとなってしまった。ボロボロのシューズが練習の厳しさを物語っている。
練習、練習、常に同じことの繰り返し。スポーツでも、絵画でも、音楽でも華やかさの裏には必ず地味な努力が隠れている。自分自身、限界ギリギリまで真剣にやればやるほど、試合で勝った時の喜びや、負けた悔しさは大きかった。ともに厳しい練習を乗り
越えてきたチームメートの信頼関係を一層深めながら、机の上では学べないことを体験することができた。
今でも、バスケットのクラブチームの練習は週一回、中学生から四六歳までの男女十数名が集まり汗を流す。高校生は部活動とはまた違ったプレーや技術にチャレンジしたり、社会人は心地よい疲労感が丁度いいストレス解消となり、リフレッシュの時間となる。四角いコート上では年齢も性別も関係なし、世代を越えてバスケットを愛する人達が集い、一つのボールを汗びっしょりになりながら一生懸命追いかけている。
今年の夏は、ストリートバスケット3on3に参戦した。手づくりのユニホームの胸と背中にはそれぞれの年齢を表す「46」「43」「42」のナンバーが刻まれている。
ギラギラと輝いた目は、少年のようにみずみずしく、やる気になればできることを実感した一日だった。わたしは来年の夏も42+1が刻まれたユニホームで参戦することを夢見て、その日、その時を精一杯楽しむ。遊びも本気でトライするという姿勢が、喜び
となり生き甲斐となる。スポーツも人も自分が納得できる何かを持っていればとことん付き合う。あきらめないでとことん付き合うことで、励まされたり支えられたりできるのかも。
バスケット三十年、テニスちょこちょこ、サーフィン初心者。これからもわたしの挑戦は続くだろう。真新しいサーフボードとウエットスーツが来春の出番を待ている。
鈴 忠壽


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