福島民報新聞・サロン集「古民家を求めて」

2005年11月28日(月曜日) 掲載

古民家を求めて

小学三年生までかやぶきの家に暮らしていた。その思い出もあり、二十数年前から、ひっそりと風雪に耐えてきた昔ながらの家をライフワークとして描くようになった。
当時、家の中心には家族だんらんの囲炉裏(いろり)があり、天井も頑丈で曲がった梁(はり)もすすで黒光りし、生活感のにじみ出た美しさがあった。軒下には、洗濯物や秋の季節には干し柿がつるされ、広く陽当たりの良い縁側では、犬もわたしもおばあちゃんも日なたぼっこ。お茶を飲んだり、縫い物をしたり、穀物を乾燥したりと便利な空間で光と風を身近に感じられる、そんな暮らしになんとなく安らぎ感を覚えていた。
古い実家を取り壊すときには、大工さんを中心に家族、知人が総出で作業をした。わたしも手から服から鼻の中まで、すすだらけになり、邪魔をしながら屋根のカヤを片付ける作業を手伝った。その場所に次々と真新しい柱が建ち始めた。ものづくりや絵を描く図工の時間が大好きだったわたしには、等身大の家というプラモデルは、とても新鮮で見るモノ触れるモノすべてに興味津々。チョロチョロと散策しては大工さんの邪魔ばかりしていた。大工さんも危険を察知してか、また、仕事にならなかったのか、ついにチョロスケは、柱に縛り付けられてしまった。新築の家でも、チョロスケは健在だった。退屈な雨の日、茶の間の壁を相手にキャッチボールをし、ふと気が付くと壁にポッカリと穴があいてしまったこともあった。自分がどれだけ高くジャンプできるのか挑戦した証しが天井板にはハッキリと指跡として、今でもわたしの思い出とともに残っている。家にはその時代の生活や暮らしぶりが何世代にもわたって継がれていくのだろう。
家族構成が変わったり、生活形態の変動に押し流され、現在は機能的な密閉住居を求める時代。やたらと物に囲まれて豊か過ぎる生活、住宅も風景も平均化してしまい、殺風景でなにか物足りない。逆に古民家はその土地や気候、業種によって形態が変わることも魅力的であり、住まいと暮らしには知恵と工夫が凝縮されている。大きくどっしりとした肝っ玉母ちゃんのような多層造りの家や、シンプルで緊張感のある頑固なじいさんのような兜(かぶと)造り家。北国に多い、L字型の曲り屋は人と馬が一体となって家族と同じくらい大切にされて暮らしているところもある。
四輪駆動の車で北へ絵の取材に行く途中、雪の降り積もる道端で「出掛けるのも一苦労ですね」とおじいさんに声を掛けると、しわだらけの顔をほころばせながら「冬はいい。雪はごちそうだー」と言う声が返ってきた。年老いて不便で厳しい生活のはずなのに、季節感を楽しんでいる。ちっちゃくやせっぽちのじいちゃんから、辛抱強さや粘り強さとともに人も家も年輪を重ねていくことにより、何げない存在感が大地にしっかりと根付いていることを感じた。
壊れたら修理して、汚れたら磨いて、穴があいたら繕う。多少曲がってもいい。色が違っていても全くOK。自分の手で仕上げたモノには愛着が増し大切さが芽生え、長く付き合うことが出来る。人は家に宿るように、だれでもが心のふるさとを持っている。
これからも、大きな存在感で自然に解け込みながら暮らしている古民家を求めて散策の日々は続く。
鈴 忠壽


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